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おもてなし Home-land foods 

私が初めて訪れた街sydney
最初のシェアハウスは、Dullwich hillにあるフラットシェアでした。

引っ越し初日

徒歩10分でDullwich hill駅がある場所だった。
自転車やバス20分程でNewtown やSydney University

少し歩けば、Wool Worth 、ベトナム・ギリシャ系の商店街があるなど

Cityの南側にある語学学校に通う私にとって、予想以上にアクセス便利な好立地であった。

フラットのLandload(家主)は、Jordan(ジョルダン≒ヨルダン)の大学院生Feras。
祖国では教員をしていた彼は、
シドニー大学でマネジメント関係の(Doctor degree)博士課程を専攻していた。
(今年の6月にめでたく卒業)

一念発起しAustraliaに移住をして、彼は3年目であった。

彼は3年間でAcademicな論文を駆使できるほどの英語能力を身につけ、
日常生活を過ごしていた。

もともと英語を話す文化でないアラビア語圏の彼は、
何事もないかのように経歴を話してくれるが、
相当な努力をしていると感じた。

なぜなら、私に対しては幼児レベル英語スキルを使って、混乱しないように配慮しながら話してくれる。
シェメイトの田舎からの上京した学生には、ネイティブな表現速度で会話をしている。

私はヨルダン人の彼の言葉を、会話の雰囲気から内容などを予測できた
一方で、相手方の方言の強いAussieの彼の言葉を
私は何も聞き取れなかった。

RRRRRRRRRRRの音が連続しているような会話だった。

彼の家へInspection(自宅見学)した際、
“Do you want something to drink?
Do you like a tea ?”

入居後も事ある毎に
 “ Hi Ken!!
  Do you have any trouble ?
  Do you have any plan today ?
  Have you had something food yet? ”

 “ Your room is cooler than usual,
  I’ll give you something hot,
  Do you have another blanket ? ”

とFerasにはいつも気遣ってもらい
「おもてなし」を受けていた。

祖国の味 in ヨルダン

日本の誰かが言った「おもてなし」
その時、日本だけの象徴的な文化や習慣(hospitality)でなく、
世界中関係なく存在することなんだと確信した。

中東だから
アラビアだから
そんなことは関係なく
一人の人として惹かれ尊敬できた。

私は、シャワールームの扉が欠けていても
蛇口が外れやすくても
キッチンの換気が悪くても
このメンバーで住みたいと思わせてくれた。

友人を読んでホームパーティ

おかげで、部屋の扉を閉め忘れることがあっても、盗難など何も問題がなかった。
(むしろ閉めるようにシェアメイト達は言ってくれた。)
時々キッチンは、うまく換気ができないので火災報知機がなる。
しかし皆で協力して天井のリセットボタンを押したりと楽しくすごすこできた。

In case of とIf違いも延々と理解できるまで、劇を入れながら教えてくれた。
(これは、とても感謝しきれなくてビールをあげた。)

家族の一員として扱ってくれ、楽しい時を過ごすことができた。

この国の素晴らしいところは、
このように人種関係なく
個人としてみてもらえる点だ。

当然ながら、とても嫌な人間もいる。
それは社会なのだから同じような思考ばかり、均一であるわけがない。
全てが自分を中心とした世界ではない。

Australiaは、わりと温かく人情のある国であろう。

多くの国や人種がいれば、それに応じて文化や習慣が異なる。
異なる点が多ければ
最後に人と人とをつなぐ要素は、「おもてなし」などの
心意気・スピリチュアルな点になるのではなかろうか。

そう考えると、
日本の場合、特別強調して「おもてなし」を推すことをやめないなら、
このまま漠然としたまま活動で大丈夫なのだろうかと感じた。

もしかすると私の知らないとところで、活動をしているのだろうか。

今までの一般的な「おもてなし」でよければ
「おもてなし」をする世界中の国の「一つ」にしかすぎず、
敢えて、コンセプトに盛り込むことが必要なのだろうかと感じてしまうからである。

まぁ私にとってはどうでも良い問題である。

重要な事は
日本へ訪れた人各々が、素晴らしい体験や経験ができれば良く、
各々の考える「おもてなし」ができれば、それで十分でなかろうか。

最近は、大阪にも海外からの旅行者が多くみられる。
そして、彼らは道に迷ったのか、なにかをさがしている場面をよく見かける。

そのような時に私は、できる限り話しかけるようにしている。

英語が伝わらなくても、表現する方法は仕草や態度や表情など色々とあるので、
まずは話しかける。

これは大事なアクションなんだと私は捉えている。

なぜなら困っている時に話しかけてくれる。
これが如何に大事なことなのか、私は体験し知っている。
Australiaで滞在してた際、私の心は何度も助けられた。

その影響もあり
AustraliaでうけたHospitalityを、常にどこかでアクションを起し
私の心意気で還元していこうと思った。

そういう受けた恩を忘れず還元することも
「おもてなし」なのではなかろうか。

この記事を書いた人

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Kenichi Okumura
現在地:日本
京都のとある大学で看護を学び 救急看護師として日々従事していた。 その後は、世界観を変えるためにAustraliaに旅立ち 現在、日本から再度自分の夢である世界へ目を向け 視野を広げて活動できるように交流をつづける。 「何にもとらわれないひらかれた場所で空をみること」を目指して。

Kenichi Okumuraさんの海外ストーリー