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泡とバックパック(backpack with bubbles)

約一年前

私は、夏が近づきはじめたsydneyを離れた。
Australia内を気が向くままに周っていった。

その旅路の中で、タスマニア島でおこった出来事について振り返りたいと思う。

私はメルボルンより、フェリーでタスマニア島のDevonportに向かった。
なんとなく、飛行機でHobart(タスマニア島にある空港周辺の町)に行くのもなんだかなと思ったからだった。

到着した時は、ちょうど11月の日本のように気温は10℃を前後していた。
11−12月でも日本との違いは、夏に近づくだけあって夜は20:00ごろまで明るいことだった。

フェリーを降りると雨が降っており、どんよりしていた。
最寄りの宿は、フェリーの停留している川を渡り約8km先にあった。
まずは、昨晩フェリーに預けていた荷物の確認をおこなった。
(リクライニングシート席/AS$56なので、持ち込み荷物は手荷物のみ可能だった。)

確認していると細かな泡がカバンから吹いていた。
スポンジ・ボブに登場するロブスターやカニが泡を吹き出すような泡だ。
原因は、見てすぐに予測できた。
メルボルンで奮発して買ったシャンプーに違いないと
(いつもは、三個入り石鹸をシャンプーとボディーソープとして使いまわしていた。)

開封してみると、期待を裏切らない予想どおりの結果であった。
あらゆる荷物の隙間に、泡が息を吐きながら生息していた。
おかげで、タスマニア島に到着して、人工的なさわやかな香りを全身で感じるこができた。

唯一の不幸中の幸いは、荷物をアウトドア用の防水の袋に小分けにして詰め込んでいたことだ。

私は、ここで悶々としていても解決しないため、宿についてから泡とおさらばしようと思った。
フェリー船員からは、「チェックしたら、はよ出て行け」と言われていたので尚更であった。

私は雨の中をずっと、泡を背負いながら目的の宿(バックパッカーズホステル)を目指した。
(シャワー室に壁を超えてモクモクと泡だらけになったことは、
ホテルスタッフにさえ言っていないので、秘密にしていただきたい。)

タスマニア島に到着して、数日はファーム仕事やローカル仕事を探しつつ、探検を行った。

さすがにタスマニア島と同じ緯度にある国々が少ないだけあり、空気は日本と比べられないほど澄んでいた。
これは、Wool Worth(スーパーマーケット)のレタスを食べてさらに実感した。
なにか味付けをする必要なく、生で食しても旨味があった。
これはsydneyやPerthなど、他のAustraliaの都市の野菜の味と比べても圧倒的に美味しかった。

ナニも味付けしなくても、レタス・卵・トマトのサンドを無限ループができた。
新鮮な味のおかげか、飽きがこなかった。

おかげで、牛乳orフレッシュジュースを加えることで、栄養価もありながら節約生活もできた。

ある日、
フェアリーペンギンが上陸するろいう噂のビーチへ徒歩で向かった。
宿から10km地点をハイウェイ沿いに歩いていた時だったと思うが、
オージの女性が私の行先で停車し私を目的地まで運んでくれた。
(このようなサプライズな優しさは、Australia内どの地域でもある。)

ただ予想より早い時間(昼間)に目的へ着いたので、ペンギンは海で泳いでいたが。。。。

またある日、
町をひたすら歩いていると、ポピー畑にであった。
看板には”Keep Out” ”For Medical Drug”など書かれたいた。

これらは、Australiaでつかわれる医療用麻薬達の原料であった。
ただ、綺麗な白い花であることは間違いないので怒られない程度の距離で下記のように写真に収めてみた。
IMG_1108.JPG

何かと1−2km歩けば風景や趣が、180°変わるタスマニア島のデボンポート
ここは、一人でも来ても正解だなと思った。
このころになると、何も恐れるこなくvisitor cetreで話しかけ、
スタッフへ切符の取り方や観光地へ行き方を聞くことができた。
(英語のスキルは決して高くない。人と話すことへの慣れや自信だけあった。)

いつチケットは安くなるのか、どのように行けばいいのかなど英語の練習として質問をすることができた。
英語を実践で学べ、これは大きな財産だったなと思う。
IMG_1126.jpg

もし徒歩・車で訪れるならデボンポートは、是非訪れてほしいオススメな場所だ。

この記事を書いた人

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Kenichi Okumura
現在地:日本
京都のとある大学で看護を学び 救急看護師として日々従事していた。 その後は、世界観を変えるためにAustraliaに旅立ち 現在、日本から再度自分の夢である世界へ目を向け 視野を広げて活動できるように交流をつづける。 「何にもとらわれないひらかれた場所で空をみること」を目指して。

Kenichi Okumuraさんの海外ストーリー