Canpath
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人生の舵は自分で

アフガニスタンの駐在も、9ヶ月が過ぎた。残りあと3ヶ月ともなると、次の話になってくる。次はきっとアフリカだろう。そしてそれは望むところではある。でもそれは、「もし人道支援を続けるのであれば」の話。アフガニスタンでは多くを学んだ。しかし、今次の人道危機を考えられるか? 例えば南スーダン。例えばソマリア。自分が「うん」と言えば、来年の話だ。

赴任地の話は一旦置いておこう。結局タイミングでジュネーブが決めることで、自分が思い描いたところで無駄だ。むしろ次なるステージへの時間的距離と、それに自分が対応可能かにかかっている。

この2ヶ月というもの、人生の舵取りを怖れて先延ばしにしていた。過去にパレスチナに2年いて、精神の回復と将来の展望ができるようになるまで日本で2年近くかかった。その間東日本大震災の支援に入ったのも大きかった。母国がガザ地区以上に破壊と絶望の地になるとは思いもしなかった。結局望む望まないに関わらず、紛争だけじゃなく自然災害の緊急支援にも対応可能になり、時間かけた分成長もできた。シェアハウスの仲間にも支えられ(このサイトの運営者シュンには世話になったぜ)、人生は戦場や被災地の外へ広がっていった。その期間があってこその、今だ。

一旦休むことにしたと仮定しよう。当時組織の人道支援職員史上最年少最弱だった自分を思い返せば、他の戦地と比べて3倍厳しいと言われるアフガニスタンで今回一年間駐在全うできたら、自分の経験値を加味して、どれくらいで回復できるだろう。半年? 一年? 行動することも重大な決断だけど、休むのも同じく重大な決断だ。休んでいる間に、迷うこともあるだろう。高校生の頃からやりたかった今の仕事。インドのスラムスクールでインターンをしていた二十歳、あの子たちの一人も救えずに、悔し涙を飲んで、なりたくもなかったエリートに、死ぬほど勉強してなってやると誓った夏。それでも大学院で他の学生に全くついて行けず、もう本当に無理かと諦めかけた23才の冬。なんとか大学院を出てから、支援の手法や費用対効果の重要性もさることながら、自分の力で救える人の数を増やすという物差しで、教育支援や開発支援の分野からどんどん人道支援に傾倒していった二十代後半。業界人の仲間たちは、「あなたでしか続けることはできないんだから」と言う。友人たちは、「今すぐにそんな仕事辞めろ。危険すぎる」と言う。日本での平和な生活を本気で現実的に夢見ることも多々ある。辞めることのメリットも大きい。両親も姉も親友たちも、安心して眠れるだろう。予定はないけど結婚などもしすることになったなら、メリットは他の選択肢を無意味にさせるほど大きいものだろう。

休むのか、辞めるのか。いずれにしても安全な場所が要る。どこでもいいと考えてしまえば、なおさら悩む。でも、これまで足を運んだ30ヶ国くらいの中で、いちばん気に入ってる場所といったら、湘南しかない。ベネチアも、ダハブも、アポ島も、サンフランシスコも、デルフトも、接戦だったけど、ギリで及ばず。浜っ子の永遠の憧れは、結局湘南ボーイなんだな。自転車の脇にサーフボード乗せて、由比ヶ浜をビーサンつっかけてゆっくり駆ける以上にカッコいい生き方なんて、ないだろ。サーファーの聖地、フィリピンはオーロラ州のバレーで仕込んだ波乗りでも、再開するかな。せっかく取ったスキューバ免許でシラスの群れでも観察するか。そんな海好きなのになんで海無し国の砂漠のど真ん中で働いてるんだ、自分は。まったくもう。

ジュネーブにメールを書いた。もし休むのであれば、ミッション終了時に本部で話し合おうと言ってくれた。辞める話は、みんなごめん、やっぱ今んところは無しにしよう。半年くらい、太平洋の夕日でも眺めて、充電するわ。お前らともたっぷり話したいしな。それから、また全力投球ーーー。

と、これを書いている場所はどこだ。イスタンブールか。恋に破れて来た街、恋が生まれた街、一体何度この交差点に舞い戻るんだろう。まぁいいや。痛い想い出も、甘い想い出も、全部ポケットに詰めて、歩いてこうじゃありませんか。

この記事を書いた人

一風
現在地:イギリス
オランダの大学院を出て人道支援を始める。現在国際機関に勤務。

一風さんの海外ストーリー