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5月

1.勉学の状況

 先月で東フィンランド大学での交換留学が終わり、首都ヘルシンキに引っ越してきました。予定としていたことを何もできませんでした。フィンランド建築美術館にインターンシップの受け入れが決まっていましたが急遽取り止め、ヘルシンキ大学付属サマースクールに行く予定でしたがコースが満員キャンセル20人待ちで、結局ヘルシンキ成人教育センターで2つのコース(ⅰ)FinnishⅢA1.3とEnglish in the world B2を受講することにしました、が、途中から行かなくなりました。下記に授業の詳細を書きます。また、(ⅱ) Comparison and Educational Policy-making XVII EDUCATION, SOCIETY AND CULTURE CONFERENCEにたまたま出席しました。最後にその内容にも触れたいと思います。

(ⅰ)フィンランド語ⅢA1.3 と世界の英語B2
 フィンランドの代表的な生涯学習施設、成人教育センターの学習者として学んだことは、大学で生涯教育を専攻している私にとって視点を増やす良い経験となりました。
 成人教育センターはフィンランドの生涯学習を支える最も主要な教育施設と言えます。フィンランドでは人口500万人に対して年間170万人以上の市民が、国が運営する”公式な”生涯学習施設の活動に参加しているそうですが、実にその60%の人数を支えているのが、全国に点在している成人教育センターです。その目的は学びを通して人々の肉体的、精神的幸福を維持することにあります。学費は国が全体の50%を、ヘルシンキ市が30%、その他団体が10%を出資しているため、個人の負担は全体の10%ほどであり1時間1.5~3€で済みます。
 私が受講した2コースだけでも世代や国籍、社会的立場を越えた多様な人々とクラスメートとして学びを共有することができ、楽しみました。皆授業にとても熱心で学びの目的がそれぞれの中に定まっており、良い刺激を受けました。特に英語のクラスは具体的なテクニックや知識を得るというよりは、毎回あるテーマを元に学習者同士の気軽なディスカッションを中心に進む形式で、先生もフィンランド人(非英語母国者)だったので、フラットな関係で学び合う環境が整っていました。私達はそれぞれの違いで結び付いていると改めて感じました。
 フィンランド語Ⅲの授業は上のレベルのクラスを受講したため、毎回授業内容の1割しか理解できず苦しみました。この国では基本的に人々が言語を私に合わせて英語にしてくれるので、久しぶりにコミュニケーションの鍵を私だけが持っていない(思い込みでもありますが)恐怖と孤独感、疲れを覚えました。この感覚は忘れないでいようと思います。

(ⅱ)「教育比較と教育政策、社会と文化」会議
 ヘルシンキ大学にEU諸国から教育学教授が集まり、近年のヨーロッパでの教育について研究発表、意見交換と議論を交わす会議に出席しました。
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午前中にフィンランドのPISAの結果分析と国の教育政策についてドイツとフィンランドから2人の教授によるプレゼンテーションがあり、午後は各部屋に別れてテーマごとのセミナーというプログラムになっていました。
 興味がない分野であったにも関わらず私は「東アジア」と言われると呼ばれているような気が勝手にして、ヨーロッパとアジアの教育比較のセミナーに参加しました。ドイツのフロリアン教授、フィンランドと東アジアのPISA結果の比較で日本の教育を「拷問、ドリル試験地獄、自殺教育」と表現し、フィンランドと日本の英語教育比較ではアメリカからクリスタル博士学生「日本の教育は世界で最も後進している」等日本の教育は常に強く批判されていました、痛快でした。千葉大学で教育学を学んでいてもそれは常に日本人によって日本語で語られる日本の教育であって、海外、特に異なる教育を基盤に持つ人々からの視点はなかなか得にくかったので良い勉強になりました。
 EUではPISAの表面的な順位やスコアに一喜一憂せず、毎回内容の分析に力を注いでいるようです。PISA始め紙媒体のテストの点数が示すことのできる”学力”の限界は周知だからです。高度経済成長期に”成功した”ように見え未だ続く日本のマッチョな精神論者の"指導"とエリート層による点数稼ぎ、過剰なプライベートスクール(習い事や塾)や早期教育、家庭の経済力や親の文化的社会的背景と子供の進学率との強い因果関係、そして犠牲になる子供達(貧困に苦しむ子供、不登校や子供の自殺)についてはこの会議で既に東アジアの教育の共通理解、常識として語られていました。私は彼らの批判に対して完全に賛成の立場で、異論はもちろん補足さえありませんが、あまりの徹底した否定ぶりにさすがに戦きました。私は運によって今のところギリギリ”成功”者側にいますが、常にわずかなトップ層に入っていることを求められ、一般的な日本の公立学校で終わりのない試験から試験に全力疾走し続けた、彼らの言う「人権を侵害された子供」の1人でした。このセミナーにいてふと自分を否定されたような感情を抱きどっと疲れました、私の大部分が日本の教育によって作られてきたからです。自分自身を客観的に捉え直すこと(それは「世界」を自分で主体的に作り始めること、とパウロ・フレイレか誰かが言っていたような気がします)が学びの意味の1つだと改めて気付かされました。

2.生活の状況

 1ヶ月間バケーションでした。保証コード/ヘルシンキの留学生/観光客、の条件に合わない外国人がヘルシンキで暮らしていくのは社会制度的に生活が厳しいことを知りました、ヘルシンキに限らずどの国でもそうでしょうが…。移民もどきになってから東/東南アジア人女性差別を何度か目の当たりにし怒り狂いました。一度でも消費の対象として直接的に見定められる気持ち悪さを初めて感じました。

 ヘルシンキ内15の博物館と数えきれないギャラリーを制覇し、芸術関連のイベントに参加し、本を4冊読み、映画を4本観て、実験音楽とフィンランド民謡のコンサートにがむしゃらに行きました。
 イベントの多さで知られるフィンランド建築博物館、館内で楽器ごとにソロの現代実験音楽のコンサートがあり、皆目を閉じて心地良さそうに聴いていました。フィンランド写真美術館は地味で貸し切りでしたが、ヘルシンキの博物館の中で最も良い展示だったと思いました。フィンランド人写真家ハンネレ・ランタラの哀愁溢れる「良き時代の終わり」展、特に人々の国境や時代を越えた自己定義をテーマにした数々の写真プロジェクトに自分を投影して泣きました。写真の質感、色や構成も個人的にとても好きでした。ヘルシンキの博物館の中で唯一来館者で混み合っていたアテネウム美術館の企画展示は、フィンランド人写真家イスモ・ハルットの写真展でした。企画展の内容など知らずにフラリと寄っただけだったのですが、授業でまさに彼についてレポートを書いたことがあったので本物を見ることができ興奮しました。どの人物写真に写る人々も眼差しが強く、私が写真を見ているのではなく、写真の向こうからレンズと時を越えて見られているという感覚に陥りました。白黒写真だからこそ豊かな色彩があり光が見えるような気がして時間をかけて展示を回りました。キアズマ現代美術館で開かれていた、自画像と肖像画から自他定義を問う企画展示face to faceは万人共通の普遍のテーマで来館者と多様な現代アートを結び付けており、来館者同士の会話を誘発していて興味深かったです。特別展示ロバート・メイプルソープの1970年代ニューヨークのセンセーショナルな白黒写真も良かったです。また、芸術が捉える自然の要素と世界の関係をテーマにしたもう1つの企画展elements,「宇宙を構成する要素は、物理学者と天文学者、そして芸術家によって明らかにされてきた」という導入文から始まる印象的でダイナミックな展示でした、これも良かったです。
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 次回のレポートでフィンランドの実験音楽について書きます。

 ヨエンスーで出会った愛すべきイタリア人4人と再会し、世界遺産スオメンリンナ要塞に行った後ヘルシンキ内の教会を回りました。
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ヨエンスーにいた時によくパスタやラザニアを作ってもらっていたのですが、この日の夜もボロネーゼに赤ワインを御馳走してもらいました。温かく陽気な人々、人生の明るい部分を見つめてユーモアたっぷりに生きることを教わりました。

 思いつきでエストニアに旅行に行きました。船で2.5時間、首都タリンの古い街の真ん中に5日間ほど滞在し、もちろん7つの博物館を回りました。さすが文化遺産、どこを歩いても街並みが美しく惚れ惚れしました。
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 タリン古都独特の建築には数多くの部屋とそこからランダムに伸び繋がる階段や穴がそこかしこにあり、初めて見る構造で体をかがめて歩き回るだけでも面白かったです。
 エストニアは隣国フィンランドやロシア(人口25%はロシア人)と文化を共有していて興味深く思いました。ロシア正教会のアイコン美術と音楽が好きで東フィンランドを強く感じるので、タリンでも教会でウトウト座り続けていました。
 これまで私の海外旅行の目的は友達との再会、それだけだったので、日本から遠かろうが治安が悪かろうが物価が高くても、例えば南米まで飛んだこともありましたが、今回初めての1人旅で自分のペースでゆっくり観光する良さを発見しました。

 ロシア人の友人に会いにヘルシンキから電車で1時間、ラフティ市にも行きました。歴史博物館の企画展、第2次世界大戦以前の芸術と現代を繋げる現代アートの試みも非常に良かったのですが、湖沿いに立つシベリウスホール、全面ガラス張りの壁から広がる海(湖)と木造建築の木の色、高い天井が見事で口が開きっ放しになりました。
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 夜お友達のお母さんが伝統的なロシア料理を振る舞ってくれました。私は小学生の時に近所のロシア人家族と交流がありよく面倒を見てもらったので、味付けや食器の模様が懐かしく1人ノスタルジックになりました。

この記事を書いた人

Akari Yamasakiさんの海外ストーリー