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川の流れ・土の流れ

最近の日本の気候のもとで生活していると何かと不快になる時がある。

この原因は何なのか、梅田のビルの隙間を縫うように建物の看板や人を眺めながら歩いていた。

湿度ではない何かがある。
湿度が高くて暑いならば、ブルームやケアンズのように熱帯気候のお膝元のほうが、
高湿度高気温であった。

しかし、Australiaでは日陰に入り何もしなければ、そよ風も吹き過すことができた。

おそらく日本は、外気から取り込んだ熱ですら休めない環境なんだろう。
前日から気温を冷めないまま翌日が来て、
エアコンやビルから熱を吸収して、どこかへ流すこともできない環境。
そこへ休日すらままならず、日々平日と同じライフスタイル。

休息のないこの街に、安寧はやってくるのだろうか。

文化・宗教がそうしたのかそれともさらに内なる何かがそうさせたのか

Australiaでブルームから2000kmほど離れたカナーボンという町を訪れた時、
川の流れは言うまでもなく、風の流れと時の流れを意識しなくても感じることができた。

土の流れもあった。

土の流れとは、
牛や豚・羊やヤギが歩くことで、足あとが生まれ次に向かう目的地を知ることができた。
その次に
ディンゴや水場を求めてカンガルーが追いかける。
その後に人々が、masteringという畜産物の囲い込みをする

この一連の流れは全て土が教えてくれた。

視えるようでみえないもの、肌で感じるものに近い。

川も乾季で干からびるまでになれば、
更に土の流れが激しくなる、水を求めて草を求めて動くもの
それを求めて動くもの。

この無機質な暑さが体力と精神力を削ぎ落としている

これは逃れるしか選択がないのだろうか。

この記事を書いた人

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Kenichi Okumura
現在地:日本
京都のとある大学で看護を学び 救急看護師として日々従事していた。 その後は、世界観を変えるためにAustraliaに旅立ち 現在、日本から再度自分の夢である世界へ目を向け 視野を広げて活動できるように交流をつづける。 「何にもとらわれないひらかれた場所で空をみること」を目指して。

Kenichi Okumuraさんの海外ストーリー